※ フリーライターになるまでの歩みや仕事に対する姿勢など、クリエイターズコラムマガジン『zekt』から取材を受けた際に詳しく語っておりますので、そちらもあわせて御参照ください。⇒ |
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1984年 |
東京工芸大学短期大学部写真応用科卒業 |
出身校だけ見るとカメラマンになりそうだが、なぜか編集者となる。カメラマンから編集者への行変えがどこで行われたかは我ながら不明。ちなみに、写真の腕は普通より少しマシな程度です。 |
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1985年 |
新卒で滑w生援護会に入社
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『an』編集室に配属される。 |
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1987年 |
(株)学生援護会退職
(株)大栄出版(現・DAI−X出版)編集室入社 |
友人に誘われて転職。
椛蜑h出版の母体である椛蜑h教育システムが運営するワープロやパソコン、税理士などのビジネススクールに通う生徒さんに向けて発行されていた月刊誌『THE
DAIEI』(当時、実売で2500部発行。現在は休刊)と一般書籍の編集担当。
『THE DAIEI』では、企画、編集、取材、執筆業務に就く。『THE
DAIEI』特集ページ企画は、「ストレス解消」「ペットブームを探れ!」「噂の系譜」「雨の日はこう過ごす」「環境問題を考える」など、およそPR誌らしからぬ自由な内容で展開されて、この時期に幅広い分野における編集・執筆経験を積むことができた。また、連載ページでは、「税理士・会計士・社労士のインタビュー」や「よくわかる現代社会」(旬の時事問題を扱う)「アミューズメント倶楽部」(本・コミックス・映画などの紹介)、「Time
Crip」(流行りモノをインタビューや取材記事で紹介)、「就転職実用マニュアル」(就転職ガイド)などを担当する。
書籍は、大栄出版発行の「なりたいシリーズ」などを企画・編集する。 |
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1991年 |
(株)大栄出版を退職 |
「フリーランスライターになるために会社を退職」と言いたいところだが、持病の椎間板ヘルニア悪化のためやむなく退職する。療養中も知人・友人からフリーランスライターのお仕事がなんとなく入り、なんとなくフリーライターを始めた。 |
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1995年 |
フリーランスライターとなる |
「腰もよくなり、さぁ!現場復帰」と思いきや、時を同じくして世の中はバブルが弾けて大不況へと突入していた(トホホ)。
しかたがないのでそのまま雪崩れ込むようにフリーライターとなる。
当初は、(株)学生援護会と(株)大栄出版の雑誌の仕事が中心。その後、朝日新聞社発行の『旅シリーズ』、講談社の『東京1週間』、よみうり旅行社の『クチコミ旅情報』、その他のPR誌などを経て、1995年、椛蜑h出版発行の単行本『なりたい!ゲームクリエイター』を執筆。
現在は単行本の執筆を中心に活動する(詳細は執筆物のページ参照してください)。 |