夕方から降り始めた雨は、激しくなる気配もなく、かといって止む様子もないまま、夜半を過ぎてからもずっと降り続いていた。
雨音もしない闇の中を、俺は優子を車に乗せて走り続けている。

「窓を閉めて手を中に入れろ! 危ないだろ」
隣の助手席で、顔を窓際に凭れ掛けながら、片手をぶらぶら外に出している優子に、俺は怒鳴った。しかしなんの反応も返ってこない。
“わかっていたさ”と、優子を横目で見ながら俺は思った。
コイツとの付き合いは長い。
長いというより、俺はコイツがまだこの世に生を受ける前、母親の腹の中にいた時分から、もうコイツの存在を知っていたことになる。それから19年、父親同士が親友で、お隣さん同士で、去年俺が結婚して独立するまで、変な話ではあるけれど、優子は俺の人生の大切な一角を占めていた。

「そんなにマジギレすることないじゃん?」
唐突に優子が口を開いた。しかし、警察にコイツを引き取りに行ってから3時間30分が経ち、優子が最初に話したことがコレだったとは…。
「今、何時だと思ってる? 2時30分!! 俺はお前と違ってまっとうにやってるまっとうなサラリーマンなの! 明日も仕事があんだよ!」
「しかも、ワケのわかんない妻と子供までいんだよねー」
ここでさすがに、優子の頭を小突いた。
「イタ! そうやって、すぐに私の頭をぶつ! 結局、女に暴力振うヤツって、自分しか見えてないんだよ。自分のちっぽけなプライドを守ることに精一杯で、他人を思いやる心なんてないんだよ」
「そう思うなら、そんな男とはさっさと別れろ!」
優子は、ホテルの一室で男と殴りあいのケンカをやらかしているところをホテルの従業員に通報され、補導されたらしい。警察の取調べ室でも、優子は一言も口をきかなかったという。俺の名前と電話番号以外は。

「街で会ってさ、ちょっと雰囲気が、アンタに似てたんだよね」
ポツリと優子がつぶやいた。
「年上の俺に“アンタ”とか言うな」
俺がもう一度優子の頭を小突くと、今日初めて優子が笑った。
「普通、男と本気で殴り合いのケンカなんかするか?」
その質問には答えず、相変わらず優子は窓から頭を凭れ掛けて、手をぶらぶらさせている。
11月の冷たい雨にさらされている優子の顔は、なにか死んでしまった人ように冷たく見えて、俺は悲しくなった。
「風邪ひくよ」
優子はスクリと微笑んで俺を見た。
「ねぇ、覚えている? ちょうどこんな雨の日だったよねぇ。いきなり兄ちゃんが、道路に寝転んでみるって言って、みんなでビショビショになりながら道路の真ん中に寝転んで空を見上げたの。曇天に雨粒が落ちてて、キレイだった」
雨は降り続いている。
あの頃から変わらずに、たぶん、同じ空から。

優子という存在は、俺にとってなんなのだろう。
世間一般でいう幼馴染、だけど、同性じゃないから、優子のことは正直言って男の俺にはわからないことが多い。兄弟じゃないし、もちろん、恋人でもない。友達とも違うし、親友と呼べるほど、今の優子の生活を俺は知らない。
普段、日常生活の中で俺の“優子”は埋没している。しかし時折、そのどれよりも深い部分、近いところに、どうしょうもなく“優子”を感じることがある。妻よりも、子供よりも、優子を強く感じることがある。

「このまま、どっか行こっか」
「どこにも行けないくせに」
それでも、青白かった優子の顔が少しは明るくなった気がした。
「今日一日は、どこでも付き合うよ。だから、窓を閉めて顔と手を引っ込めてくれよ、なっ」
「うん」
今、たまらなく優子を抱きしめたくなったけれど、俺は素知らぬ振りで、そのまま雨の夜道に車を走らせ続けた。



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