世の中に、こんなに意地が悪くてキツい人間がいるとは思わなかった。
「ブスのチョコはいらん」
入社して1年目のバレンタインデーに、社会人の常識“お義理チョコ”を荒川さんに差し出した時の、彼の捨て台詞がコレだった。荒川さんのフルネームは、荒川興三郎という。

大学を卒業して、ただ単純にマスコミに憧れているというだけで、大手の出版社にコピーライターとして潜り込んだ。
採用されたのは、なぜか求人広告誌『フロムS』編集部。そこに、フリーカメラマンの荒川さんがいた。
荒川さんは、見るからに怖い風体で、目つきも悪く口は極悪、でもカメラマンとしての腕は最高。そしてなぜか、社内での人気も最高で、彼に憧れている女の子も少なくなかった。が−-。

「別に私だって、好きでテメーにチョコあげたんじゃあないんだよぉぉぉぉ」
と、心の中で叫んだが、現実にはムール貝のように堅く口を閉ざし、冷たく凍り付いている自分がいた。そりゃあ、私はキレイじゃないかもしんない。平たく言やぁ、ブスかもしんない。だけど、普通、そんなこと言う? 
ブスにだって心はある。似合わないかもしれなけど、傷ついちゃったりするのだ。
それでも入社して1年目、現実と理想のギャップに、私はかなりに煮詰まっていた。コピーライターとは名ばかりで、新聞の折り込み広告の見出し文を作るような作業に、嫌気が指し始めていたのだ。
“貴女を華やかに演出するお洒落な職場”
“ベイサイドエリアで働く贅沢”
そこに、あの魔のバレンタインデーだ。あの日をきっかけに、冷血動物荒木の罵倒が加わり始めたのである。客商売なのに、クライアントの前でろくなプレゼンもできなかった。ロクなコピーも書けない。
「お前みたいなトロいヤツはさっさと辞めちまえ!」
ことあるごとに怒鳴られる。私と違って、彼の写真は、たかだか求人広告といえど、才能の煌きを感じさせていた。最高の写真と最低のコピーがコラボレーションとして掲載される。私はますます鬱になっていく。
「辞めよう」
「辞めたい」
「辞められない」
そんな堂々巡りの中、あのとき、荒川さんが言った一言を、私はきっと、一生忘れないだろう。

取材の帰り道、クライアントとの交渉がいつもの通りうまくいかず、もうほとんど私は爆発寸前だった。

「負け犬になるの?」

なんの脈略もなかった。荒川さんに悩み事を打ち明けたことなど、一度もない。その時も、落ち込んではいたものの、なるべく平成を装っていたつもりだった。
そんな私に、たった一言、つぶやくように荒川さんは言った。
寒い2月の真冬の公園だった。ポケットに手を突っ込んで、目を合わせないようにつぶやいた。息が白く凍っていた。

あれから、10年。
私の仕事は求人広告より、少しは成り上がっている。
荒川さんは、今ではちょっと有名なカメラマンになった。
今でも私たちはコンビだ。最高の写真を撮るカメラマンと、まあまあのコピーを書くライター。
「おい、ブス」
は、今では私の呼び名になってしまった。
走り抜ける荒川さんをおい続け、この毒だらけの人間の背中に、私はあの冬の日にほんの少しだけ垣間見えた「言葉にならない心」を探し続けているような、そんな気がする。



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